日本の評判

世界は日本をどう見ているか。 英語と中国語のメディアから日本に関する記事をとりあげ、考えます。

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客観的な主観

ながらくご無沙汰しました。
そろそろと慣らし運転を始めたいと思います。

ニューヨークタイムズのノリミツ オウニシ記者の記事です。


日本の教科書は修正された歴史を反映する

日本が日本の第二次大戦の歴史の見直しを進めていく中でのまた新たな徴候で、先週金曜日、新しい学校教科書は沖縄における主要な惨劇において皇軍に責任があるとはもはや認めないと政府は発表した。

戦争末期の数ヶ月、沖縄がまさにアメリカ軍の前に陥落せんとするとき、皇軍が民間人に集団自殺を命じたというくだりを削除するよう文科省が出版社に命じた。

この決定は、公立学校で使われる教科書の文科省による例年の検定として発表された。文科省はまた、ほかの扱いの微妙な問題も政府の主張に沿って書き変えるように命じた。検定は政治からの干渉に束縛されないとされているのであるが。

「検定制度は適切に運用されていると思います。」と安倍首相は言った。彼は戦時の日本の行為について教科書での扱いを弱めるよう長年活動してきた。

文科省はこれまで沖縄戦についての記述に異議を唱えてこなかったので、この決定は驚きだったが、それは戦時中に軍が女性たちを強制的に性奴隷にしたことを最近安倍氏が否定したことに続くものだ。

中国や韓国、それにほかのアジア諸国は毎年の教科書検定の結果を注意深く見守っている。だから、沖縄戦と性奴隷における軍の責任を―それは長らく歴史的事実として認められてきたのだが―また新たに否定することで、日本政府が現在の軍の役割を高めようとしているまさにそのときに軍国主義の過去を糊塗しようとしているという疑念がアジアにおいて深まることになりそうだ。

就任後まもなく、安倍さんは防衛庁を省に昇格させた。最優先の目標はアメリカによって課された、日本が攻撃能力を備えた一人前の軍隊を持つことを禁じた平和主義憲法を改定することだと彼は言ってきた。

沖縄戦で20万人のアメリカ人と日本人が死んだ。戦争中で最も烈しい戦いのひとつだった。それは日本国土での民間人を巻き込んだ唯一の戦闘だったが、沖縄はただの日本の一部分ではなかった。

日本が、今日まで独自の文化を保持している王国沖縄を公式に併合したのは19世紀末期になってからのことだ。第二次大戦中、多くの沖縄人がまだ異なった方言を話していたとき、日本軍は地元民を残忍に扱った。沖縄県戦争記念館は戦争の歴史について、沖縄をアメリカと日本との戦いに巻き込まれたと説明している。日本を西洋列強からの解放者として説明する靖国神社戦争記念館とはまったく相反する観点だ。

1945年の戦闘において、市民の四分の一が殺された戦闘において、日本軍は沖縄の防衛と安全に対する無関心を示した。日本兵はアメリカ軍に対する盾として民間人を利用し、勝ち誇ったアメリカ人は殺戮と強姦の乱暴狼藉に及ぶだろうと説いた。アメリカ軍の勝利が差し迫り、狂信的な日本兵に迫られて、民間人は集団自殺した。

「日本軍に自殺を強制された人々がいた。」とある古い教科書は述べていた。しかし文科省が命じる改定では「集団自殺に追い込まれた人々もいた」となる。

ほかの変更も同じようなものだ。当たり障りのない言葉への変更、題目の消滅、それと日本軍の責任の消去との組み合わせ。政策変更の説明として文科省は、「日本軍が集団自殺を強制または命令したことははっきりしていない。」と述べた。

安倍氏の性奴隷に関する否定もそうだが、文科省の新しい立場は、強制があったという圧倒的な証拠、とりわけ犠牲者や生存者自らの証言を過小評価しているように見える。

「日本軍に自殺を指示されたと証言している沖縄人は多い。」と沖縄の二大紙の一つ琉球新報は怒りの社説で書く。

※この部分、琉球新報の実際の社説では「日本兵から自決を指導されたと証言している住民は多い。」となっています。=訳者注

「自爆するために日本兵から手榴弾を渡されたと証言している人もいる。」

※おなじく、社説では「日本軍から手りゅう弾を渡されたという住民の証言もある。」

社説は、この変更は「政府の見解にあわせた」政治に影響された決定だと述べた。

安倍氏は1997年に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の設立に助力した後、国粋主義者が戦後の日本人の誇りを奪った自虐史観と呼ぶものを拒絶する活動を長く率いてきた。

安倍氏の断固とした味方である元首相中曽根康弘は最近、自分が1978年に書いたことを否定した。

彼は「23歳で三千人の総指揮官」と題されたインドネシアでの帝国海軍経験についての回想録で、部下の中には「地元の女性に襲い掛かったり、賭博に興じる者もいた」と書いている。

「私は部下たちのために慰安所を設置してやった」と中曽根氏は軍事売春窟の遠まわし表現を用いて書く。

しかし、一週間前の外人記者との会見では、今は88歳の中曽根氏ははっきりと否定した。実際は、部下たちが囲碁や将棋などのゲームをするための「娯楽センター」を設置したのだと。

韓国外相宋旻淳は土曜日の麻生太郎日本外相との会見で安倍氏の最近の性奴隷についての発言を批判した。

「歴史認識の問題は韓日関係の前進を困難にしている」と宋氏は述べた。

麻生氏は、日本が過去の性奴隷に関する責任を認めた1993年の談話を継承すると述べたが、しかし軍が女性たち(その多くは朝鮮人)を強制的に性奴隷にしたことを安倍氏が否定したことについては何も述べなかった。


このNYタイムズのオウニシ記者の記事の最後の段落部分と、次に挙げる朝鮮日報日本語版の李河遠記者の記事を読み比べてください。

韓日外相会談:安倍・下村発言に麻生外相は謝罪せず」http://www.chosunonline.com/app/ArticleView.do?id=20070402000008
【宋長官は31日の会談終了後、記者会見で「麻生外相が、日本軍の慰安婦動員の強制性を認めた“河野談話”を継承するとの立場を表明した」と語った。しかし、麻生外相は日本軍の慰安婦問題自体について謝罪するという既存の立場を繰り返しただけで、このところ問題になっている日本の政治家らの暴言に対しては謝罪しなかった。】

NYT記事は朝鮮日報記事の要約のようなもlのです。要約が言いすぎなら、両者のものの捉え方、問題意識の持ち方が非常によく似ていると言っておきましょう。

オウニシ記者は東京特派員で、会談が行われたのは済州島ですから、あるいは彼は韓国から配信されたニュースを元に記事を書いたのかもしれません。

またあるいは、会談で何が話されたかを実際に知っているのは当人たちのほかには通訳ぐらいでしょうから、「謝罪しなかった」の部分までが宋外相の発言だったとも考えられます。

いずれにしろ、「謝罪しなかった」という言葉が前提にしているのは「麻生氏は謝罪すべきだ」とする考え方です。NYTの「何も述べなかった」も表現を弱めてはいるものの同様の主旨でしょう。

つまり、オウニシ記者は客観的な事実の提示を装いながら、韓国外相(または韓国紙)の主観を読者に押し付けているのです。

外国の外相同士の会談で一方の立場を、そうとははっきり感じさせない形で代弁するのはいかがなものでしょうか。それが如何に自分の考え方に近かったとしても。


残念ながら、私は沖縄戦について論評するだけの知識を持ち合わせていません。ですから本論からは外れますが、しかし重要なことに触れておきましょう。

ハワイはただのアメリカの一部ではありません。
アメリカが、今日まで独自の文化を保持している王国ハワイを併合したのは19世紀最後の年、1900年でした。ハワイ語は英語の方言ではありません。まったく系統の異なる言語です。

「ハワイ併合 アメリカ」で検索するとこんなページがありました。


アメリカによるハワイ王国の併合 --------------------
1881年、ハワイ王国のカラカウア王は、アメリカによって独立を脅かされているのを訴えるために日本を訪れ、明治天皇に二つの申し入れをした。

1)欧米諸国の侵略に対して、アジアの国々は連合同盟して当たらなければならない。
日本は、その盟主になるべきである。

2)王の姪カイウラニ姫の聟(むこ)として、海軍兵学校在学中の皇族、山階宮定麿王をお迎えしたい。
日本の力でハワイの独立を守ってもらいたい、と。

ハワイには明治初年より日本人移民が多く住み、ハワイ王国と日本は移民に関する条約を結び、正式の外交関係が成立していた。
しかし、明治天皇は日本とアメリカの国力の差を考え、摩擦をおもんばかって、丁重に申し入れをお断りした。

時に明治14年である。

それから12年後、1893年、王の妹リリウォカラニ貞応の御代、
アメリカは自国民の生命財産保護を名目に、海兵隊をハワイに上陸せしめ、翌日、王政を廃止し、女王を退位させた。

ハワイに入植し、少数派であった白人のアメリカ人たちが謀ったクーデターだった。

閔妃暗殺の僅か2年前のことであった。


日本政府は、その時、厳重な抗議をしたとの記録が残っている。

このクーデターの首謀者はアメリカに併合を求めたが、
当時のアメリカ大統領は植民地拡大に反対の民主党出身者であり、
併合は認めなかった。

しかし、アメリカはその後も強引に併合政策を進め、大統領が共和党になってからの1897年、ハワイ併合条約が調印され、1900年、ハワイはついにアメリカの属州となった。

植民地となったのである。


その後、ここにアメリカの大軍事基地が築かれ、太平洋艦隊の根拠地として発展したことはよく知られている。
それがパールハーバーである。
そして、イギリスのシンガポール、ソ連のウラジオストックと呼応して、三大軍港が日本を三方から牽制するように取り囲む体制が次第に整っていくのである。

(ちなみに、ハワイがアメリカの正式の州に昇格したのは第二次大戦後の1959年である。
真珠湾攻撃の時点で、ハワイは、まだアメリカの植民地であり、日本はアメリカの領土を攻撃したのではない。)


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テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済

  1. 2007/04/04(水) 03:37:58|
  2. 歴史認識問題
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