アメリカ人も聞きたい: 日本は北米の下僕になるか、東亜の娘になるか?
日本の新任首相安倍は最初に訪米する慣例を破り、中国に来た。これはおそらく日本が外交の比率を調整し、アジアを重視する度合いを回復し始めた兆候だ。…2007年4月26日、安倍はアメリカを訪問した。アメリカ人も聞きたいに違いない: 日本よ、アメリカの下僕になるのか、それとも東亜の娘になるのか?
日本がおそらく世界の不安定要因になるというのは、一つには、戦争の罪行の歴史について真の反省が欠けているからだ。二つ目に、アジアと欧米の間で遊離して態度を決しかねているからだ。三つ目に、相当な経済的軍事的実力を擁しているため、その遊離動向が周辺国家に多くの不安定要因をもたらすからだ。
では日本は結局のところどこへ行くのか? 結局どのような地位につくことができるのか? 筆者は、日本の前景として二つの可能性が比較的高いと考える。
一は北米(アメリカを主とする)の下僕、二は東亜(中国を主とする)の娘。理由は以下の如し。
1、現在日本はアメリカ、ロシア、中国の包囲の中にあり、この三国の制約を受けている。なかんずく、アメリカは日本に強大な駐留軍を持つ。このような軍事力の存在は,ロシアと中国に対抗する力であると同時に、日本を制する力でもある。
ロシアは超大国の座を降りたとはいえ、その軍事力は依然として日本が対抗しがたい。
中国は日本の文化母国である。中国が戦争賠償を放棄したことは日本を戦略道義の制約の下に置いた: それと同時に、中国の経済力と軍事力は急速に回復しており、全体としての総合国力はすでに日本を上回った。
このような状況において、日本は大英帝国が世界に覇を唱えたような地位を得ることはすでに不可能だ。
2、上述のような日本の立場は日本人自身がよくわかっているが、選び取る対策はまったく違っている。とくに、日本の右翼の一派はアメリカとの同盟に重きを置く。アメリカの力を借りて日本を大きくし、東はロシアと中国に対抗し、南は東南アジア各国を脅迫し、同時に世界各地への通行をスムーズにする。
しかし、アメリカの力を借りるには代償を払わなければならない。主な代償はアメリカの下僕にならなければならないことだ。しかもアメリカと憂いを共にし、アメリカを助けて出兵しなければならない。
この種の代償は、アメリカの利益の前に屈服することを意味することは明らかであり、日本右翼がまだ放棄していない覇権的野心と相容れないが、一時的には致し方ない。
3、日本人は、現在持っている経済力、科学技術力、軍事力のため、依然として「脱亜入欧(欧米)」戦略を捨てることを願っていない。
しかし、日本の地理的位置、人種淵源、文化背景はすべてアジア東部のものであり、東亜文化圏に属する。欧米とは遠く隔たっている。
ゆえに、日本は「脱亜」をしようにも脱しきれず、「入欧」しようにも入ることができないかなりばつが悪いところにいる。
このような状況を鑑みて、多くの日本人はアメリカの下僕であり続けることを潔しとせず、いかにして「脱欧米」し、「東亜回帰」をなすかを考えている。
4、日本が長い間東亜回帰、アジア回帰をしなかった客観的原因は、アジア諸国の経済文化が長い間欧米に劣っており、日本だけが欧米と肩を並べていたことだ。
しかし、現在状況は根本的に変化し、多くのアジア国家と地区の経済文化はすでに欧米を追い上げ、あるいは格差を縮めている。特に中国はすでに世界の経済強国になった。
このような状況の下、日本が東亜に回帰しない理由はない。問題は日本がどんな役割を果たそうとするのかだ。
アジアの主導国になるか、それとも東亜の娘になるか?
5、周知のように、日本は第二次大戦中アジアの隣国に対して野蛮な侵略と略奪を行い、種々の反人類的罪行を犯した。このことは日本人も心中はっきりわかっている。
問題は、日本の文化的要因により、もし根本から罪を認め反省すれば、日本はアジアを主導する資格を失ってしまうと日本人が考えていることだ。
しかし、もし根本から罪を認め反省しなければ、中国とアジア各国は日本に対して政治的信任を置かず、そうすればやはり日本はアジアを主導できないことになる。
つまり、日本がアジアを主導しようとしても、進むこともできず、退くこともできず、どうすることもできない。
6、それでは、日本は結局のところいかなる役割を演じるべきか、演じることができるか?
筆者は日本の本来の役割は東亜の娘であり、現在演じられる役割も依然として東亜の娘だと考える。日本人種も日本文化も東亜から来ているからだ。
日本に向かった移民(人種と文化を含む)の最も古い記載は4回ある。
第一次は炎帝の娘が「東海に漂流した」。
第二次は帝禹の時期。
第三次は徐福が外洋船を率いて居を移し、日本に稲作文明をもたらした。
第4次は唐代、鑑真の東渡と日本学者の中国留学で中国文化を系統的に取り入れた。
この間数千年、日本は一貫して東亜の娘、しかも聞き分けのよい娘だった。
たかだか数百年前、日本はその文化母国を撹乱し始め、ついには不敬不孝の罪を犯した。
上述のように、日本がもし中国の智者の建議に耳を傾けたいと思うなら、自己を新たに東亜の娘、聞き分けのよい娘として位置づけ、東亜文化の復興のため、アジアの興隆のために力を尽くさなければならない。
●我孫子? あはは
中国語でよく”私をとーちゃんと呼べ!”など、家族に絡んだ中国語が
ありますが、家族を大切にする中国文化の象徴でしょう!
で、”おとーちゃん”=”敬うべき存在” ということなので、 例えば
ジャッキーチェンとかの映画でよく悪役の人がこのセリフを吐くのですが、
”俺を尊敬しろ!”的な意味があります。
本当に尊敬できない人からこれを言われたら、めちゃめちゃ腹の立つことなのです。
話は戻って、”我孫子”ですが、直訳すると”私は孫です。”になる。
つまり ”子供” →”おとーちゃんを尊敬する物”
”孫” → ”子供を尊敬する” →”おとーちゃんはめちゃめちゃ尊敬する”
と言う関係に当たるので、
”我孫子”というのは、自分をものすごく低く表現する事になります。
私の奥さんに限らず、中国人からするとこの”我孫子”は
非常に笑える地名なんです。

慰安婦問題をめぐる安倍晋三首相の言い逃れが、当然のことながら近隣諸国の神経を逆なでしている。
だが、アジア諸国側にまったく欠点がないとはいえない。中国や北朝鮮、韓国、台湾の政府も自国の歴史的汚点をごまかしている。
もちろん、日本と近隣諸国が患う「歴史の健忘症」には大きな違いがある。中国、北朝鮮、韓国、台湾は過去のいやな出来事を隠そうとする罪を犯しているかもしれない。だが、中国がチベットに、国民党が台湾に、北朝鮮が韓国に与えた苦痛は、国境が争点になっていたとはいえ、主に国内問題といえる。これに対して、日本は次々と他国を侵略し、人々を苦しめた占領者である。
日本は第二次大戦で無条件降伏し、侵略戦争の責任を公式に認めた。日本政府は自らの歴史に特別な責任を負っているのだ。その責任を誠実に果たさない限り、アジアにおいて歴史を政治問題化する動きは終わらない。

(1)慰安婦システム創設における日本軍と政府の関与の度合い。:
日本政府と軍が直接慰安婦システムを創設した証拠は明白だ。1992年−1993年の日本政府の報告は、処々の軍官が処々において慰安所設置の過程を主導したことを見いだした。軍はまた慰安所の装備に手を貸し、運営のための規則を定めた。朱徳蘭が発見した台湾の文書は、日本の台湾植民地政府による日本の中国侵略を支えるための台湾拓殖株式会社設立について述べている。1937年までに植民地政府は、台湾拓殖株式会社に台湾人慰安婦の募集と中国海南島への移送を指示した。海南では日本軍は62の慰安所建設を含む台湾拓殖株式会社のすべての活動を監督した。
吉見文書は、中国の日本軍部隊が1937年の日本の中国侵略に続いて中国北部と中部に慰安所設置を開始したことを証明した。
そのうちの一つ、北支派遣軍参謀長による文書は、管轄下の部隊に、「できる限り速やかに性的慰安のための施設を整えることはきわめて重要である」と指示した。
1992年の韓国政府報告書は、朝鮮駐留日本軍による慰安婦施設設置のための同様の命令を引用している。
(2)日本軍が慰安婦の徴募と移送、および女性たちが日本兵にセックスを提供した「慰安所」の管理に関与したか否か。
システム運営(女性の徴募、女性の移送、慰安所の運営)におけるすべての段階で日本軍の関与があったことを証拠が物語る。
軍と日本の植民地政府が慰安婦を集めるためにしばしば台湾拓殖会社のような民間会社と契約していたことが証拠からわかる。
アメリカの軍人がビルマのミッチーナで朝鮮人慰安婦から聴取したところによると、彼女たちは募集のときに日本軍の統制に服することを規定した契約書にサインしたという。
吉見文書の一つ、1938年3月4日付のものは、「軍慰安所に配置する女性の徴募について」と題して、日本の陸軍省から北支派遣軍へ出されたものだ。陸軍省は次のような指示をした。「派遣軍は徴募を監督すること。そして委託業者を慎重かつ適切に選考すること。実施においては当該地域の憲兵と警察当局が緊密に連携することとし、軍の威厳を保ち社会問題を避けるために細心の注意を払うこと。」
特に注目すべきは、当時の陸軍次官梅津美治郎中将が文書に署名していることだ。梅津は後に参謀総長および第二次大戦中の戦時内閣の一員になった。彼は1945年9月2日戦艦ミズーリ上で降伏文書に署名した。
ほかの吉見文書は、中国北部で日本軍が設置し当地の日本軍司令部が監督する慰安所について記している。
多くの場所で慰安所は、ときには「ハウスマスター(舎監)」と呼ばれる民間人が経営していたことを証拠は示している。
しかし、その地の軍司令部が慰安所運営のための詳細な規則を定めていた。それには営業時間や、将校と下士官が別の時間に慰安所に行くこと、憲兵の配置、医学検査と治療についてが含まれる。
ミッチーナでのアメリカ軍人の聞き取り調査のときに朝鮮女性がこれらの規則について述べている。
(3)女性たちが慰安婦にされ慰安婦として務めたのは自分の意思か否か。
これは女性の募集の際のやり方と慰安所での女性の地位がかかわっている。安倍首相の声明と下院決議121〔慰安婦非難決議〕はこの問題を表現するのに「強制」という言葉を使った。アメリカン・カレッジ・ディクショナリーは、「強制する」、「強制」を「暴力的な行動によって無理強いすること」、「暴力的な圧迫」と定義している。
田中ユキが「日本の慰安婦」で引用した400以上の証言のうち、200人近くの女性が日本軍、憲兵または軍の代理人によって暴力的に捕らえられたと述べている。そのことは特にフィリピン、中国、オランダの女性について言える。
1993年の日本政府報告の結論の要約は、「募集人は、女性を意思に反して募集に応じさせるために多くの場合甘言と脅迫を使った。」と述べている。伝えられるところによると、報告書それ自体、「業者が軍に要求されて甘い言葉と強制で女性を引っ張った」と述べた。
フィリピンと中国の女性の証言、それに日本軍の文書も中国とフィリピンで強姦が蔓延したと述べている。上記の北支派遣軍参謀長が発した命令は、「多くの場所での日本軍将兵による強姦の多発」について触れている。強姦は明らかに、1943−44年の日本軍と中国軍及び大規模なフィリピンゲリラとの烈しい戦闘のあった地域で多数発生した。伝えられるところによると、その地の日本軍部隊は地元の中国人やフィリピン人少女を拉致し、何週間も何ヶ月も拘束し、繰り返し強姦した。
オランダ政府も、1942年の日本の蘭領東インド侵略の直後に日本兵に強姦されたと訴える多数のオランダ人女性の証言を記録している。
強制的徴募がオランダ政府の戦争犯罪裁判で罪に問われ記録されている。それはオランダ国立公文書館の文書 AS5200 と1994年の「日本占領中蘭領東インドにおけるオランダ女性強制売春についてのオランダ政府文書の研究」のオランダ政府報告に記録されている。
これらの訴訟と報告は、軍の監督の下、日本軍がオランダ女性を収容所から(ときには収容者の抵抗に遭いながら)強制的に移送し、慰安婦を務めることを強いた例が多かったことを記録している。
多数の日本軍将校がオランダ戦犯裁判所によってオランダ女性に対する犯罪について断罪された。訴訟と報告はまた、ユーラシアン(欧亜混血)とインドネシア女性の強制徴募も記録している。
詐術が軍と軍の契約者、仲介業者の常套手段であったことを証拠が示している。
ミッチーナで朝鮮女性が米軍の面接者に語ったところによれば、募集人はビルマにいる朝鮮人女性に、シンガポールの病院で負傷した日本兵の世話をすることになると言った。
中国昆明にいた朝鮮人女性の証言によれば、300人の朝鮮人慰安婦は、朝鮮の少女にシンガポールの日系工場での雇用を謳う朝鮮の新聞の広告に応募した。
昆明からのOSS報告は、「23人の女性すべてが明らかに強制と虚言によって慰安婦」になったと結論づけている。
他の多くの元慰安婦も、募集人の詐術を語っている。
韓国外務省の報告は、多くの場合日本人と契約募集人の詐術があったことを引用している。
アメリカ戦争情報局も、1941年12月7日の日本の真珠湾攻撃まで在韓国アメリカ人宣教師だったホーレス・H・アンダーウッドの報告を出版した。彼は日本人が「さまざまな方法で大勢の韓国人少女を満州と中国の売春宿に送った。そしてこれが韓国人の憎しみをかき立てる要因になっている。」と述べている。
募集人はまた、日本認可の金融機関に深刻な負債を抱えた少女の家族に向けて明かな甘言と脅迫を組み合わせて用いた。ミッチーナで証言した女性たちは、病院で働くことを志願すれば家族の負債を完済する道が開けると募集人に言われたと証言した。
田中由紀の本に引用されている多くの女性の証言には、募集人が同じような詐欺的手法を使ったとは書かれていない。
ミッチーナの朝鮮人女性などの証言では、女性たちは慰安所に到着してからは日本軍が彼女たちを解放して家に帰ることを許可するまでそこで勤めた。
日本軍は1943年にミッチーナの朝鮮人女性を何人か解放したが、多くは第二次大戦中は慰安所にいたことが多くの証言が示している。
日本軍が朝鮮人女性が韓国へ帰ることを許さなかったために、彼らが危険を冒して日中の戦線を越えて脱走することを選んだことを彼らの話が示している。
慰安婦徴募の際の強制をめぐる2007年の議論は、女性たちが自分の意思で慰安婦になったか否かという、より広い問題を覆い隠してしまう。
入手可能な証拠から、ほとんどの女性が意思に反して慰安婦になったということは疑う余地が無い。意思に反してということを詐欺的な募集に応じてというふうに定義すれば。
このシステムには真の自発的な性質などほとんど無かったように思われる。

アメリカが 史上 最悪の バージニア 工科大 銃器乱射 事件で 大きな 衝撃と 悲しみに 掛かった。授業中だった 教授と 学生 など 32 人が この 大学に 在学中だった 韓国人 1.5 世 チョ・スンフィ氏の くそみそ 銃撃の 犠牲にされた。 惨変を 経験する 何らの 理由も なく 貴い 生命を 失った 犠牲者たちの 英霊に 深い 哀悼の 意を 表する。 短い間に 愛する 子と 親・兄弟を 失った 遺家族たちにも 深い 慰労を 伝える。
今度の 事件は 単にアメリカだけの 悲しみにとどまらず 地球村 全体の 悲劇だ.。不特定 多数を 対象にした 犯罪は どのような 理由でも 受け入れる ことはでき ない 反人類的 蛮行だ。 この 無惨な 事件の 犯人が アメリカ 永住権を 持った 韓国人だったが、 惨憺たる 心情を 禁じえない。
犯行 動機が すべて明らかにされてはいないが 捜査当局は 一応 ガールフレンドの 変心に 恨みを 抱いて やらかした 個人 次元の 犯罪と 把握している ようだ.。少なくとも 人種や 国籍を めぐる 葛藤は ないという のだ。 にも かかわらず 事件は ともすれば 米国民たちの 憎悪心と 反韓国 感情を 触発させる 蓋然性が なくはないと 見る。 バージニア 工科大 韓人 留学生を 含めて アメリカ 僑民たちも これを 憂慮して 超緊張 状態に 置かれた.。実際に 一部 学校では 韓人に 唾を 吐いて 露骨な 敵がい心を 現わした ことも 起ったと いう。 両国国民の 賢い 対処が 必要だ。 万に 一つ 在米 韓人に 対する 仕返し性 危害が 起きたら 両国民の 感情に 取り返しのつかない 傷を あたえる だけ なく 両国の 善隣友好関係にも 深刻な 悪影響を もたらす のだ。
政府は 事件が 国家間 問題に飛び火することの ないように 万全を 期さねばらならい。 何より 韓・米 FTA 批准 同意と ビザ免除 交渉, 米 議会の 日本軍 慰安婦 決議案 など 両国 懸案に 悪い 影響が 及ぶことの ないように アメリカ 朝野との 対話を 強化しなければならない。政府 次元の 高位級 弔問団を 送って 米国民たちを 慰める ことも 必要だと 見る。事件の 本質が 人種 問題では なく 銃器所持に あることを 両国 国民が 十分に 推し量るように 両国が 努力しなければならない。 一緒にして 政府は 今度 事件を きっかけで 韓人 1.5 世代と アメリカ 留学の 暗い 陰を 一緒に 察する 政策的 努力を 傾けるのを 望む。
記事日付け : 2007-04-19 31 面
事件の本質は反社会的性格を持った孤独な移民学生が精神錯乱的蛮行を犯したものだ。対立関係にある集団ではなく、ただ精神的に問題のある弱い人間が起こしたことだ。そんなことは他のアジア人やヒスパニックまたは黒人、白人、誰でも犯す可能性はある。頭に来ても拳銃を簡単に手にすることができなければこんなことはなかったという話も的を射た話だ。事件のこのような性格は動かすことができないのだ。
というよりも、民族自尊官能症に骨の髄まで侵され、民族に至上の価値を置き、すべてを民族の次元で捉えなければ気のすまない韓国人ですから、今回のこの事件も韓国人全体の問題として受け止めざるを得なかったのでしょう。彼らが受けた衝撃の大きさは漫画からも窺えます。上記の社説はそのショックを和らげるために自らと読者に言い聞かせているという側面があります。

「独島はウリのものだデス!!」
「東京」


「ナイス ショット!!」
ノムヒョン:
「オレにも一個オクレ」
金正日:
「おう、もう一発かましてやるか?クックッ」
「一回だけ許してください。ウウッ」
金正日:
「たわ言もういっぺんでもぬかしたら口が裂けるぞ。」
小泉:
「わかりました。」



中韓文化苦恋が歴史の暴風に突き当たる
2007年が始まって早々、中華の大地に満ちる韓流熱潮が「寒流」に変わった 〔中国語でも「韓」と「寒」の発音は同じ〕。韓国の二つの大型歴史ドラマが高句麗の歴史論争に関連し中国で暴風を引き起こした。《朱蒙》は韓国テレビドラマ年間最高視聴率をマークし、現在香港の亜洲テレビで毎日絶賛放映中で、中国の朱江デルタでも視聴熱潮を巻き起こしている。
しかし敏感な高句麗の歴史題材が論争を引き起こし、香港の亜洲テレビは歴史と政治のタブーを巧妙に無意味化している。ドラマ中の「漢朝」を「天朝」に、「国家」を「部族」に変えて広く好評を博している。しかし、中国大陸のネティズンに痛烈に批判された。
同時に、韓国の超人気スター裴勇俊〔ペ・ヨンジュン〕雌伏四年の作、韓国ドラマ史上最大の制作費をかけたドラマ《太王四神記》の放送が始まろうとしているが、高句麗の歴史に関して中国当局の敏感な神経に触れたため、中宣部〔共産党中央宣伝部〕はマスコミの報道を封殺する命令を出した。ヨンさまが中国の視聴者にまみえることはできないことになった。
しかし、暴風の中で中韓両国の流行文化が緊密に協力する新しい趨勢を示し、韓国の監督、脚本家、俳優が続々と中国大陸市場に進出し、中国の映画やテレビドラマの製作に加っている。中国本土のテレビドラマの発展と韓国スタッフの参加につれ、中韓の文化交流が増加し、市場において協力する機運が高まり、民間の知恵が歴史解釈権論争を乗り越え、両国をともに利する状況になっている。
現在亜洲テレビで毎日放送されているドラマ《朱蒙》は高句麗開国の始祖朱蒙の伝記で、300億ウォン(3200万米ドル)をかけて撮影され、2006年の韓国テレビドラマ年間最高視聴率を打ち立てた。しかし高句麗は中国と南北朝鮮の歴史源流論争の焦点であるため、《朱蒙》は去年夏の放送開始から中国ネティズンの話題になった。「反中ドラマ」だとはっきり指摘する人もおり、少なからずの「熱血ネティズン」は政府が輸入放送を拒否するよう呼びかけている。ネットの「天涯社区」で中国のネティズンは言う、「日本一つでたくさんなのに、今また韓国が来た。」
「《朱蒙》は一度見たが二度とは見ない。韓国人は自分たちを非常に善良に描き、われわれ漢朝人をきわめて残酷暴虐に描いており、事実を完全に故意に捻じ曲げている。」
「非常に警戒するに値することだ。中国の文化部門、中国政府は何をぼやぼやしている。韓国人は高句麗を歴史劇の方式で全世界に向けて放映した。彼らは組織的計画的に彼らの卑劣な目的を一歩一歩達成している。」
「劇中には漢朝人に対する敵意が充満している。漢朝の軍隊を日本鬼子に比べてよりもまだ悪辣に描いている。何かと言えばすぐに朝鮮人を滅族、虐殺する。」
親北京と目されている亜洲テレビはしかし、政治的歴史的紛糾を民間の工夫でほぐすとしている。亜洲テレビの葉家宝は言う。「これはただのテレビドラマです。我々は視聴者の立場から、このドラマは面白いので輸入する価値があると判断しました。全体のイメージ作りから見て「国家」などとは言えず、「部族」にし、敏感な単語には修正を加えました。我々が強調したいのは、この物語は神話であり伝説に過ぎないということです。」
同様に高句麗王朝の英雄を描き、影響は《朱蒙》を上回ると目される《太王四神記》は今年放送される。
24回の《太王四神記》は韓国テレビ史上空前の強大な陣容を動員し、制作費は韓国ドラマ史上の最高の450億ウォン(約4800万ドル)に達する。アジアの「ヨンさま」※と呼ばれる裴勇俊が主役を演じる。この5年間、裴勇俊はテレビドラマを撮らなかったが、彼の出演はアジア各地のヨンさまファンの熱狂を巻き起こすのは間違いない。
劇中で裴勇俊はトレードマークの眼鏡をはずし、5キロ太り、長髪を肩まで垂らし、高句麗王朝の歴史上有名な広開土大王を演じている。このドラマは07年6月に撮影終了の予定で、9月から放送される。
製作者は《太王四神記》を韓国版《ロード・オブ・ザ・リング》にすることを希望している。そのため、《ロード・オブ・ザ・リング》シリーズのWETA特殊効果スタッフを招いた。
この韓国歴史ドラマで音楽を担当した日本の映画音楽の巨匠久石譲はアニメーションの泰斗宮崎駿の作品も手がけている。
現在、《冬のソナタ》をうわまわると期待されるこの新韓流大作は、海外の九十数カ国に売り込むことを目指しており、日本は同時放送を計画している。
新しい韓流の波が起こりそうだが、今の段階で中国大陸ではすでに挫折した。このドラマは高句麗の歴史論争により中国メディアのタブーに飛び込んでしまった。中共中央宣伝部はすでにこのドラマを報道しないよう命じた。
しかし公式のルートが絶たれても、民間の海賊版市場に氾濫するのではないか?高句麗王朝の英雄「裴勇俊」が出現して中国のヨンさまファンは「愛国」と「売国」の焦点でいかなる選択をするだろうか?
《太王四神記》が完成しても、中国大陸で放送できないとなれば、新しい韓流の波は最大の市場中国を欠くことになり、韓流は「寒流」にぶち当たる。前景や如何に?
(後略)
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…
1992年2月8日、台湾婦女救援基金会は発掘資料を通して台湾人慰安婦の存在を証明、2月22日全国専用受付電話を設置し、2月26日初めての台湾籍慰安婦が名乗り出た。8月9日3人の台湾籍慰安婦が半公開記者会見を開き、謝罪と賠償を求めて日本政府を告発した。
…
1996年2月6日、中華民国外交部は声明を発表し、日本政府に国連人権委員会の建議を受け入れ、慰安婦に個人補償を給付するよう要求した。8月10日および16日、基金会は「要求するのは尊厳、施しではない」記者会を挙行し、…
12月11日、150人の立法委員が日本首相および衆参両院に正式に連署を手渡し、日本政府が早急に特別法を制定し台湾籍慰安婦問題を解決するよう求めた。
1998年5月23日、馬英九先生《外省人、国民党※、次期総統の最有力候補=訳者注》ら3人が協力して撮影した慰安婦公益広告が始めて放映された。…
…
外省人国民党は台湾婦女を強迫して慰安婦にし39年の長きにわたって姦淫した
外省人国民党が、台湾婦女を強迫して慰安婦にしたと日本鬼子を非難するのを見て、あきれてものも言えず、不可思議を感じる。
日本人 中国人 台湾婦女を虐殺姦淫したのはどちらが多いか?
台湾住民は国民党軍を大喜びで歓迎したが、彼らが日本鬼子よりもまだ悪いとは思いもよらなかった。日本鬼子と同じように台湾人民を虐殺したのみならず、略奪強姦した…
おまけに台湾婦女を軍中楽園831へ送り込み、慰安婦にした...shiit...
外省人国民党は台湾に来るや否やすぐに台湾の物資を強奪し大陸へ運んだ。
軍用車両に機関銃を載せ路上で台湾人民を虐殺した。
台湾婦女を軍中楽園に送り込み、列をつくり切符を買って代わる代わるに強姦した。
当時、軍中楽園はほとんどみな日本鬼子のやり方を採用した。
国民党は日本のやり方に学び、民間人士およびやくざと結託し、買う、さらう、騙す、強迫するなどの方法で...
軍中楽園と日本のやり方は同じだ...ただ、外省人の軍中楽園は利用者が金を払わなければならなかった。
外省人国民党はまた、日本のやり方に学び...それらの婦女が自分から望んだと言う...
国民党は民国40年《1951年》から台湾婦女の姦淫を始め、慰安婦にし、民国79年《1990年》にいたって陳履安が軍中楽園を廃止した。
39年の長きにわたって台湾婦女を姦淫し、少なくとも5万人の台湾婦女が被害を受けた...
実は、当時の台湾の公娼制度は民間版の軍中楽園であり、主に外省人文官あるいは退役した老兵が来て台湾婦女を姦淫するための用に供した。ほとんどはやくざが売買または強迫を通じて台湾婦女を娼婦にしたのだ。…
公娼は2001年に廃止されたが、前後50年の長きにわたって少なくとも7〜8万人の婦女が外省人に姦淫された。
道理で当時の華西街には地下道があり、しかも迷宮のようになっていた。
なぜならほとんどは不法に強迫されたかまたは売買された少女娼婦だったからだ。
だから、人が祖国と称し、また台湾人を「同胞」と呼ぶのを聞くとき、寒気を禁じえず、気分が悪くなり、吐き気を催す。
忘れてならないのは、〔中華民国〕にも「慰安婦」制度があったということだ。兵役に服したことがある人はみな「軍中楽園」と呼ばれた場所を知っている。特に金門馬祖等の外島で服役した人はその場所に行ったことのある人の割合が非常に多い。外島で服役した人の中で「軍中楽園」の「慰安婦」のところに行かなかった人がどれほどいるか?
中国には伝統的に「慰安婦」制度は無かった。と言っても、中国軍人が高潔だったわけではない。食と色は人の性、抗することができない。また、高潔な民族などいない。
そして中国軍人には焼殺略奪の悪い習慣があった。中国の兵隊が駐屯するところ、その土地の婦女子は災難にあい、青壮年男子は兵隊に引っ張られる。台湾に来ても同じだ。
…
〔中華民国〕の「軍中楽園」は、蒋介石が当時米軍顧問団の建議を受け入れ、軍人の孤独感を癒し、戦力および社会治安に対する影響を避けるために設けられた制度だ。
…
個人の立場から見れば、「慰安婦」と「軍中楽園」の存在は人権を侵す。確かにあってはならないものだ。拐騙脅迫等の手段があればなおさらだ。
しかし、「慰安婦」および「軍中楽園」は軍民の性的接触の機会を有効に遮断し、社会安定の観点からはプラスの効用がある。…
「慰安婦」事件に対するに、われわれは日本政府に賠償を要求しなければならない。同時に、同じ基準で〔中華民国〕政府にも「軍中楽園」の公開の謝罪賠償を求めなければならない。
同じ論理で、我々はまたすべての婦女団体にも、〔中華民国〕の「軍中楽園」被害者の人権を無視しないよう求めなければならない。彼女たちが受けた傷害は日本軍の「慰安婦」と同じである。
日本軍のために服務すれば代わりに恨みを晴らしてくれる人がいて、自国の人間に蹂躙された人の人権は人より低いという道理は無い。
もしそうなら、それは厳重な差別――同胞に対する差別だ。
…
そして、日本の「慰安婦」制度に声高に反対する政治家や、老兵に象徴される政治団体は、同様に過去の〔中華民国〕の政治的行為を譴責できるだろうか。「軍中楽園」に行った過去を懺悔できるだろうか。
…
もし台湾の婦人運動団体、政治家、特定の族群団体が目標を選んで抗議するだけなら、それは人権的行動ではなく、民族主義的動員であり、さらには民族主義の衣をまとい、「慰安婦」をカードにした政治闘争の醜悪な行為である。

人間は他の人間の動物種の産業的屠殺を批判するに際しては慎重であるべきだ。それは道徳的根拠を見つけるのが難しい。
世界中で一致した意見として小さくとも救いになる点があった: 鯨だ。非常に長い時間がかかったが、この素晴らしい愛想のよい哺乳類は、少なくとも絶滅させるべきではないということで世界の大部分が意見の一致を見た。
世界の大部分、しかし全部ではない。少数のはぐれ者の国が商業的、あるいは真偽の疑わしい科学的鯨狩りを続けている。特に日本だが、あらゆる正当な理由が消滅してからも長く自分の捕鯨のやり方に執着している。
日本の当局者は伝統と科学の問題だとして屠殺を正当化する。しかし、ノリミツ・オオニシがニューヨークタイムズで説明したところによると、鯨肉の日常的な消費が国民的な習慣になったのは戦後の食糧不足の時代だけだ。そのときはアメリカ占領当局が安価な蛋白源として奨励した。日本の鯨への欲求は1960年代に急落し、二度と回復しなかったとオウニシ記者は伝えた。
死んだ鯨にだけ行われうると日本が主張する調査については、その後解体されて肉として販売されるのであるが、世界中の学者がいんちきだとして退けている。
それでも、すべての海洋資源を利用しつくす権利を維持するという主張にナショナリズムが強固に結びついたようだ。:商業捕鯨の国際的モラトリアムを終わらせようというたゆみない努力、そしてアメリカのような国の独りよがりだと多くの日本人が見るものに屈服することに対する嫌気。
捕鯨に対する嫌悪はいつの日か日本で定着するかもしれない。しかしそれは日本人の中から生じる必要があるだろう。たぶん一年のうちの今の時期にハワイへ行く多くの旅行者の中から。水面から飛び上がったり子供を生んだりする心優しいザトウクジラを見て、屠殺するなどもはや想像もできないようになったときに。
反捕鯨で「富と名誉」を得る人々
捕鯨禁止の起点はベトナム戦争
1970 年代初め、アメリカはベトナム戦争という泥沼に入り込み、抜きさしならぬ状況に陥りつつあった。枯れ葉剤の大量投下と環境への壊滅的影響、反戦運動の盛り上がりと麻薬禍の拡散、脱走兵の続出等々、反米、反体制、反戦気運を何としても方向転換させる戦略を考え出す必要があった。その結果、ホワイトハウスに特別戦略諮問機関が設置され、英知を絞った末の作戦として自然保護が全面に打ち出されることとなった。そして、その象徴として鯨に照準が定められたのである。

日本の教科書は修正された歴史を反映する
日本が日本の第二次大戦の歴史の見直しを進めていく中でのまた新たな徴候で、先週金曜日、新しい学校教科書は沖縄における主要な惨劇において皇軍に責任があるとはもはや認めないと政府は発表した。
戦争末期の数ヶ月、沖縄がまさにアメリカ軍の前に陥落せんとするとき、皇軍が民間人に集団自殺を命じたというくだりを削除するよう文科省が出版社に命じた。
この決定は、公立学校で使われる教科書の文科省による例年の検定として発表された。文科省はまた、ほかの扱いの微妙な問題も政府の主張に沿って書き変えるように命じた。検定は政治からの干渉に束縛されないとされているのであるが。
「検定制度は適切に運用されていると思います。」と安倍首相は言った。彼は戦時の日本の行為について教科書での扱いを弱めるよう長年活動してきた。
文科省はこれまで沖縄戦についての記述に異議を唱えてこなかったので、この決定は驚きだったが、それは戦時中に軍が女性たちを強制的に性奴隷にしたことを最近安倍氏が否定したことに続くものだ。
中国や韓国、それにほかのアジア諸国は毎年の教科書検定の結果を注意深く見守っている。だから、沖縄戦と性奴隷における軍の責任を―それは長らく歴史的事実として認められてきたのだが―また新たに否定することで、日本政府が現在の軍の役割を高めようとしているまさにそのときに軍国主義の過去を糊塗しようとしているという疑念がアジアにおいて深まることになりそうだ。
就任後まもなく、安倍さんは防衛庁を省に昇格させた。最優先の目標はアメリカによって課された、日本が攻撃能力を備えた一人前の軍隊を持つことを禁じた平和主義憲法を改定することだと彼は言ってきた。
沖縄戦で20万人のアメリカ人と日本人が死んだ。戦争中で最も烈しい戦いのひとつだった。それは日本国土での民間人を巻き込んだ唯一の戦闘だったが、沖縄はただの日本の一部分ではなかった。
日本が、今日まで独自の文化を保持している王国沖縄を公式に併合したのは19世紀末期になってからのことだ。第二次大戦中、多くの沖縄人がまだ異なった方言を話していたとき、日本軍は地元民を残忍に扱った。沖縄県戦争記念館は戦争の歴史について、沖縄をアメリカと日本との戦いに巻き込まれたと説明している。日本を西洋列強からの解放者として説明する靖国神社戦争記念館とはまったく相反する観点だ。
1945年の戦闘において、市民の四分の一が殺された戦闘において、日本軍は沖縄の防衛と安全に対する無関心を示した。日本兵はアメリカ軍に対する盾として民間人を利用し、勝ち誇ったアメリカ人は殺戮と強姦の乱暴狼藉に及ぶだろうと説いた。アメリカ軍の勝利が差し迫り、狂信的な日本兵に迫られて、民間人は集団自殺した。
「日本軍に自殺を強制された人々がいた。」とある古い教科書は述べていた。しかし文科省が命じる改定では「集団自殺に追い込まれた人々もいた」となる。
ほかの変更も同じようなものだ。当たり障りのない言葉への変更、題目の消滅、それと日本軍の責任の消去との組み合わせ。政策変更の説明として文科省は、「日本軍が集団自殺を強制または命令したことははっきりしていない。」と述べた。
安倍氏の性奴隷に関する否定もそうだが、文科省の新しい立場は、強制があったという圧倒的な証拠、とりわけ犠牲者や生存者自らの証言を過小評価しているように見える。
「日本軍に自殺を指示されたと証言している沖縄人は多い。」と沖縄の二大紙の一つ琉球新報は怒りの社説で書く。
※この部分、琉球新報の実際の社説では「日本兵から自決を指導されたと証言している住民は多い。」となっています。=訳者注
「自爆するために日本兵から手榴弾を渡されたと証言している人もいる。」
※おなじく、社説では「日本軍から手りゅう弾を渡されたという住民の証言もある。」
社説は、この変更は「政府の見解にあわせた」政治に影響された決定だと述べた。
安倍氏は1997年に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の設立に助力した後、国粋主義者が戦後の日本人の誇りを奪った自虐史観と呼ぶものを拒絶する活動を長く率いてきた。
安倍氏の断固とした味方である元首相中曽根康弘は最近、自分が1978年に書いたことを否定した。
彼は「23歳で三千人の総指揮官」と題されたインドネシアでの帝国海軍経験についての回想録で、部下の中には「地元の女性に襲い掛かったり、賭博に興じる者もいた」と書いている。
「私は部下たちのために慰安所を設置してやった」と中曽根氏は軍事売春窟の遠まわし表現を用いて書く。
しかし、一週間前の外人記者との会見では、今は88歳の中曽根氏ははっきりと否定した。実際は、部下たちが囲碁や将棋などのゲームをするための「娯楽センター」を設置したのだと。
韓国外相宋旻淳は土曜日の麻生太郎日本外相との会見で安倍氏の最近の性奴隷についての発言を批判した。
「歴史認識の問題は韓日関係の前進を困難にしている」と宋氏は述べた。
麻生氏は、日本が過去の性奴隷に関する責任を認めた1993年の談話を継承すると述べたが、しかし軍が女性たち(その多くは朝鮮人)を強制的に性奴隷にしたことを安倍氏が否定したことについては何も述べなかった。
アメリカによるハワイ王国の併合 --------------------
1881年、ハワイ王国のカラカウア王は、アメリカによって独立を脅かされているのを訴えるために日本を訪れ、明治天皇に二つの申し入れをした。
1)欧米諸国の侵略に対して、アジアの国々は連合同盟して当たらなければならない。
日本は、その盟主になるべきである。
2)王の姪カイウラニ姫の聟(むこ)として、海軍兵学校在学中の皇族、山階宮定麿王をお迎えしたい。
日本の力でハワイの独立を守ってもらいたい、と。
ハワイには明治初年より日本人移民が多く住み、ハワイ王国と日本は移民に関する条約を結び、正式の外交関係が成立していた。
しかし、明治天皇は日本とアメリカの国力の差を考え、摩擦をおもんばかって、丁重に申し入れをお断りした。
時に明治14年である。
それから12年後、1893年、王の妹リリウォカラニ貞応の御代、
アメリカは自国民の生命財産保護を名目に、海兵隊をハワイに上陸せしめ、翌日、王政を廃止し、女王を退位させた。
ハワイに入植し、少数派であった白人のアメリカ人たちが謀ったクーデターだった。
閔妃暗殺の僅か2年前のことであった。
日本政府は、その時、厳重な抗議をしたとの記録が残っている。
このクーデターの首謀者はアメリカに併合を求めたが、
当時のアメリカ大統領は植民地拡大に反対の民主党出身者であり、
併合は認めなかった。
しかし、アメリカはその後も強引に併合政策を進め、大統領が共和党になってからの1897年、ハワイ併合条約が調印され、1900年、ハワイはついにアメリカの属州となった。
植民地となったのである。
その後、ここにアメリカの大軍事基地が築かれ、太平洋艦隊の根拠地として発展したことはよく知られている。
それがパールハーバーである。
そして、イギリスのシンガポール、ソ連のウラジオストックと呼応して、三大軍港が日本を三方から牽制するように取り囲む体制が次第に整っていくのである。
(ちなみに、ハワイがアメリカの正式の州に昇格したのは第二次大戦後の1959年である。
真珠湾攻撃の時点で、ハワイは、まだアメリカの植民地であり、日本はアメリカの領土を攻撃したのではない。)

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