日本の評判

世界は日本をどう見ているか。 英語と中国語のメディアから日本に関する記事をとりあげ、考えます。

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「鬼子の頭を叩き斬れ」

中国人なら誰でも知っている曲に「大刀行進曲」があります。

こちらで聴けます。


麦新 詞曲

大刀で鬼子たちの頭を叩き斬れ!
全国の武装した兄弟たちよ!
抗戦の日はやって来た
抗戦の日はやって来た
前には東北の義勇軍
後ろには全国の民衆
我々中国の軍隊は勇敢に前進せよ!
敵を見れば抹殺せよ!
突撃せよ! 
大刀で鬼子たちの頭を叩き斬れ!
殺せ!


上記の詞はお聴きいただいた合唱とは少し違っていますし、麦新の元の詞とも若干の異同がありますが、「大刀で鬼子たちの頭を叩き斬れ!殺せ!」はみな共通しています。

「鬼子」とはもちろん日本鬼子のことです。

「大刀行進曲」は1937年の盧溝橋事件勃発と同じ月に作られました。その当時は日中戦争というそれなりの背景があったのでしょうが、この血なまぐさい曲が今でも国民の間で愛唱されているとは、いまさらながら驚きます。

ある若者は手記の中で、子供のころよく「大刀で鬼子の頭を叩き斬れ」と歌ったと書いています。

中国人が「大刀で(日本)鬼子の頭を叩き斬れ」などという歌を歌って育つなら、日本に来て凶悪犯罪を犯すのも当然の成り行きだと思えます。

中国の死刑者数は、中国を除く全世界の死刑者数の総数の数倍もあります。これは、ほかの国では死刑にならないような横領やわいせつ物販売などの犯罪でも、中国では簡単に死刑にしてしまうことが一因ですが、殺人や強盗などの凶悪犯罪がいかに多いかを表してもいます。

そのような殺伐とした社会を形作るひとつの素因が、このような歌にあるとは言えないでしょうか。叩き斬る対象が日本人になってはいますが、幼少時からそのような残虐な暴力を奨励された影響は大人になっても長く残り、対象に見境がつかなくなることは大いにありえるでしょう。

中共政府の政治目的達成のための反日教育が、ひるがえって自らの社会を傷つけているのではないでしょうか。

いや、人々の心が殺伐としているから、このような殺伐とした歌が広く受け入れられるのかもしれません。鶏と卵のような関係でしょうか。



「鉄血社区」というサイトの掲示板にこの曲に関する投稿がありました。写真や図版が豊富に使われていますので、皆さんもご覧になってください。
(正視に堪えない人形写真もありますのでそのおつもりで)

その中からいくつかここに貼ります。



(クリックで拡大します)



大刀で鬼子を斬る



1.抗日戦争時期、日本侵略者はわが軍の大刀隊の噂を聞いただけで肝をつぶした。


2.鬼子兵は逃げ帰って香月司令官に報告した:
 「大刀は恐ろしいです。首に振り下ろせば頭がとびます。」


3.香月司令官は頭を絞って対策を考え出した:
 鉄の瓦を二つ首にかぶせると大刀で斬られるのを防げる。


4.準備をしてついに500人の鬼子兵に“鉄囲首”を装備した。


5.右から斬っても左から斬っても歯が立たない。


6.戦士は発見した。
“鉄囲首”は斬り方を変えて上から下に振り下ろせば、ちょうど真ん中を貫通できる。


7.偵察兵は急いで逃げ帰って香月司令官に報告した:
「500人の兵がみな死にました。」


8.香月は自分で人数を数えに行って喜んだ。大いに笑って言う:
「500を派遣して、いまは1000になった。」





(クリックで拡大します)



ところで、お聴きいただいた合唱の最後の部分の歌詞は「シャー、シャー、シャー、シャー、シャー」(殺、殺、殺、殺、殺)です。

これで思い出しましたことがあります。日本の核武装を懸念するアメリカで言及した張献忠のことです。

それでは改めてウィキペディア英語版「張献忠」から。


張献忠(1606年-1647年1月2日)は黄色いトラとあだ名された反乱軍の首領で、17世紀中葉、四川省を征服した。占領にあたり、彼は自らを大西皇帝と宣言した。

歴史家によれば、多くの学者がその宣言を受け入れなかったが、みな殺された。学者を殺した後、彼は女性、商人、そしてすべての役人を殺した。それから彼は配下の兵士をお互いに殺させ、将校の“妻”たちの足を切らせ、土盛の上に置かせた。

張献忠は耳と足に執着した。何人殺したかを数えるために、彼は遠隔地で殺された人の耳と足を自分の護衛兵に回収して来させた。虐殺が終わったあと、彼は成都の中心部の石碑に次のように刻ませた。

天生万物以養人
人無一物以報天
殺、殺、殺、殺、殺、殺、殺

天は万物を生み、以て人を養う。
人は天に報いるための一物をも持たない。
殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ

〔これを「七殺碑」といいます。〕

張献忠の支配は四川を荒廃させた。四川の人口は1578年の3百10万2073人から1685年の1万8090人に激減し、成都の住民は40万から20に減った。湖広填四川〔湖北、湖南、広東、広西から四川に人を移住させる〕と呼ばれる大規模な植民が清朝の一世紀以上続き、それが江西填湖広という別の大規模植民の引き金になった。
〔中文版にはこのあたりの事実関係に疑義を唱える学者がいると書かれています。〕


張献忠が建てたのが「七殺碑」なら、現代中国人が愛唱しているのは「五殺歌曲」ですね。400年かかって2つ減りましたか。これを進歩と言うべきか。

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テーマ:中国 - ジャンル:海外情報

  1. 2006/11/14(火) 10:18:47|
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