日本の評判

世界は日本をどう見ているか。 英語と中国語のメディアから日本に関する記事をとりあげ、考えます。

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「レイプ オブ ナンキン」 アイリス・チャンの無知

南京占領当時の日本軍の行動についてこの本に書かれていることが真実かどうかを判断できるだけの知識は持ち合わせていませんが、そんな私にもはっきりとでたらめだと指摘できるところがあります。
それは前書きにある次の部分です。
(この本では「レイプ オブ ナンキン」を南京事件あるいは「南京大虐殺」全体を指す言葉として使用しています。訳文でもそれにならいます。


日本における脅迫的な雰囲気のため、「レイプ オブ ナンキン」についての開かれた学術的な討論は押し殺され、事件についての知識の普及が妨げられている。
日本では日中戦争についての本当の意見を表明することは、自分の職業地位を危険にさらすことであり、さらには命さえ失うことを覚悟しなければできないことであったし、今もそうあり続けている。(1991年、本島等長崎市長は、ヒロヒト天皇は第二次大戦についていくらかの責任があるという発言のために胸を撃たれた。)
このように危険の感覚が広くいきわたっているため、多くの意欲のある学者もこの問題についてあえて記録文書を訪ねて調査を行おうとはしない。
実際、私が南京で聞いたところによると、中華人民共和国は学者が日本に行くことをめったに許可しないが、それは学者の身体的安全が危険にさらされるのを恐れてのことだという。
このような状況において、「レイプ オブ ナンキン」についての文書史料を利用することは、この島国の外にいる人間とってきわめて困難であった。
その上、「レイプ オブ ナンキン」に関与した日本の兵役関係者のほとんどは自分の経験についての取材受けることを好まない。近年はごく少数の人が、村八分にされること、さらには殺害の脅迫をも恐れずに自分の体験を公に語り始めているのであるが。

ペンギン版11・12ページ


この一文は、「レイプ オブ ナンキン」を書くにあたってアイリス・チャンが日本に来て日本の文献を調査したり関係者に話を聞いたりしたことがないことを示しています。
来ていたらこんなでたらめを書けるはずがないからです。
なぜ来なかったのか?
その理由が中国で聞かされた「身体的安全に対する危険」だったとしたら、それこそお笑いです。
日本では、南京事件についてなら「まぼろし」説から中国政府の説の受け売りまであるし、日中戦争についてもありとあらゆる説が入り乱れていて、まさに百家争鳴です。(学会の主流は日本軍部に対して批判的ですが。)
ごくまれに起こるテロ事件を気にかけて説を曲げる者などどこにもいません。アイリス・チャンが日本に来てもなんの危険も感じずに調査研究ができたでしょう。
日本の状況は、恐怖と暴力によって言論を抑圧し、共産党に都合のよい歴史記述以外を許さない「中華人民共和国」とはまったく異なります。
学者の日本行きを許すことによって中共政府が本当に脅かされると考えているのは学者の身体的安全ではなくて、自らの政権の安泰でしょう。





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  1. 2006/07/31(月) 10:28:22|
  2. 日本外交
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「戦場にかける橋」における投影性同一視

映画「戦場にかける橋」は、第二次大戦中、日本軍が泰緬連絡鉄道を建設するために英軍捕虜等を使役してジャングルの中に橋を架ける話ですが、本多勝一が「アラビア遊牧民」のあとがきでこんなことを書いていました。

ウン十年前に読んだままなので記憶に不確かなところもあるし、私の解釈も含まれているかもしれませんが。

早川雪舟演じる日本軍将校が、何か不都合が生じるたびにアレックギネス演じるイギリス人捕虜をぶん殴って、
「これはお前が悪い、俺の責任じゃない。」と言う。
これを見たとき本多氏ははっきりと言葉には表せないものの、何かしっくりこないものを感じた。

アラビア遊牧民とつきあってみてそのもやもやが何であったかはっきりわかった。

彼らは自分の過失を絶対に認めようとしない。
レストランの従業員が皿を割ってしまった場合でも、「この皿は今日割れる運命にあった。」などという責任逃れを平気で言う。
謝ると言うことは自分の過失を認めることであって、損失に対する全責任を負わなければならないことを意味するすることが背景にある。
日本では事情が違う。
さらを割ったくらいで弁償させられることはないだろうが、謝らなければ自分の心証を悪くして却って不利益をこうむる場合がある。

ヨーロッパの社会は明らかにアラビア遊牧民に近い。

もちろんどこの社会でも責任逃れは好ましいことではない。
イギリス人は早川雪舟に醜い日本人を演じさせたが、その悪徳はイギリス人自身によく見られるものであって、日本人の行動様式からは外れているのではないか。
だいいち、つまらないことで将校が捕虜に責任をかぶせても何の益もないではないか。

海外で車を運転していて事故を起こしたとき、日本人は自分に責任があってもなくてもすぐに謝ってしまうが、それが自分の過失を認めた証拠として後で不利益になることがあるから気をつけなければならないといわれている。


「戦場にかける橋」で描かれた「醜い日本人」は実はイギリス人自身の姿ではないかということですが、これは精神医学でいうところの「投影性同一視」とよく似ています。

ある種の精神病の患者は、自分の悪い姿を他人に投影してその人に対して嫌悪感を向けることがあります。
そうすれば悪いのはすべて他人ということになり、自分自身は善人でいることができます。
たとえば、患者が、「お前は、×××だ!」と言ったとき、「お前は」という部分を「私は」に置き換えてみれば、言っていることがそっくりそのまま患者自身にぴったりと当てはまることがあるのです。
(この部分、こちらを参考にしました)


一方、会田雄次の「アーロン収容所」は日本敗戦後にこんどは日本人がイギリス軍の捕虜になったときの体験記です。
いちばんのショックだったのは自分たち日本人の前でイギリス女が平気で裸になることだったそうです。つまり日本人を犬や猫並みにしか見なしていなかったわけ。

こちらに詳しい書評があります。

犬や猫で思い出しましたが、「戦場にかける橋」の原作を書いたフランス人ピエール・ブールはまた「猿の惑星」の原作者でもあります。彼は第二次大戦中に日本軍の捕虜になった経験があるそうです。

ウィキペディアは書いています。
「SF作品『猿の惑星』で日本人を猿として描き、別の切り口で戦時下の極限状態を再現。その不満のはけ口にしたという意見もある。」

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  1. 2006/07/22(土) 01:56:01|
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