
田中ユキが「日本の慰安婦」で引用した400以上の証言のうち、200人近くの女性が日本軍、憲兵または軍の代理人によって暴力的に捕らえられたと述べている。そのことは特にフィリピン、中国、オランダの女性について言える。
しかし田中の主な論点は連合国自身の「性イデオロギー」である。
すなわち、戦前の非西洋人女性に対する扱い、戦時中に<連合国の>軍が売春を管理したことと、日本占領中に連合国軍人のために<日本軍と>同様の「慰安」システムの創設を共謀したことを隠蔽しようとし実際に隠蔽したことだ。
これらが連合軍が<慰安婦に対する罪で日本人個人を>訴追できなかった決定的な要因だというのだ。
蘭領東インドについては、たとえば、オランダ人が植民地支配の過程で大量のインドネシア人女性を性的に搾取したと田中は述べている。オランダ人はインドネシア人女性とインドネシア‐オランダ混血女性に対する性的虐待は重大な犯罪だとみなさなかった。
戦争中だけでも、(連合国は)連合国の「性イデオロギー」と<日本の>慰安婦システムの犯罪性を区別することが完全に不可能だったことを田中は明らかにする。
ピューリッツァー賞を受賞した日本史学者のジョン・ダウアーは、この本の巻末で、「衝撃的で論争を呼ぶ新しい方向の分析」だと述べている。
田中は調査の大部分をアメリカ、イギリス、オーストラリアの軍の活動に充てている。
彼は、アメリカが性病管理に関して日本軍と同じ問題で頭を悩ませたことを示す、合衆国公文書館で得た証拠を提示した。
たとえば、アメリカ軍の監察長官は性病の蔓延を防ぐために「管理された施設... 他国がやったような」の創設を推奨している。
結局、アメリカ軍はこのタイプの軍事売春宿を奨励しなかった。そして、実際に兵士に売春婦のところへ行くことを許可しない政策をとった。
しかし、中央アフリカ、中東、インド、カリブ海地域で一部の現地司令官はこの政策に反して売春施設を指定し、「安全」のために住民の女性の性病検査をした。
たとえばリビアでは、兵士たちは性病に感染していないことを証明する公的な鑑札を持たない「女性村」の女性とは一切関係しないよう命じられた。
田中はこの事実に対する証明として、性病予防具<コンドーム>を兵士に供給することによってアメリカ軍が組織的な売春を「制度的に支援した」と述べている。‐‐たとえば、米軍医療部隊のある将校は、コンドームの必要量を一人の兵士が一ヶ月に4個、予算の支出が年間3千4百万ドルと見積もっている。
一方、オーストラリアは中東で軍が管理する売春宿を公然と手配し、女将を選び、しかるべき女性に医療検査を施した。
田中は、新たに設立されたトリポリ売春宿についてのオーストラリア軍公式報告書を引用して、その描写が「慰安所」の状況に酷似していると述べている。
女性たちはプロの売春婦だったが、国際法違反(どの点で慣習国際法違反であるであるか彼は明らかにしないが)であることに変わりはないと彼は主張する。
ある場合はオーストラリア軍に16歳の少女が認められ売春婦として雇用された。
全般的にこの章で彼が言いたいのは、連合国軍の売春への関与は日本人が実行した「慰安」婦システムと同じだということであり、そしてこのことによって連合国の立場が弱くなり、「慰安」婦システムを犯罪行為だとみなすことができなくなったということだ。
連合国の「性イデオロギー」と、「慰安」婦システムを犯罪とみなすことができなかったことをさらに関連付けるために、田中は、連合国占領軍の兵士が日本女性に対して犯した性暴力の問題を提起している。
彼は「連合軍兵士による大量強姦」の証拠になる文書がないことを認めるが、この時期に日本女性への強姦と襲撃があったという信頼に足る口頭の証言を指摘している。
たとえばある場合には、1945年8月30日の占領開始から9月半ばまでほとんど毎日のように連合国兵士による強姦事件が報告されたという神奈川県警の報告書を引いている。
実際、アメリカ第8軍司令官 R. L.アイチェルバーガー将軍は、ダグラス・マッカーサーと最初に会ったときの用件は日本の降伏についてではなく、海兵隊員による強姦だったと日記に書いた。
そのような惨劇は日本人の間で広く恐れられた。それは、大量強姦は不道徳な「野蛮人」の常だという戦時プロパガンダに洗脳された民衆だけではなく、指導的な政治家と官僚もそうだ。
占領開始の前から、プロの売春婦と募集に応じた「志願者」からなる「慰安婦」システムに非常に似たものが連合軍兵士のために日本に創設された。
連合国がそのような「慰安婦」システムを当てにした‐‐要求したのではないにしても‐‐という事実により、日本人を「慰安婦」システムのかどで訴追しないことが連合国にとって政治的に都合が良くなったということを田中は示そうとする。
田中はこのように日本と連合国を同列に論じているが、「連合軍兵士が戦後すぐに犯した同じような犯罪を挙げることで、日本人が戦時中に犯した罪を軽減しようとか正当化しようというつもりはない」と強調する。
(中略)
田中は書く。
「占領に参加した連合軍は、一般の兵士からGHQの公共衛生福祉部門の職員、連合軍の最高司令官その人まで、すべてが、多くの日本女性が経験した苦難の責任を負うべきだ。」
(後略)
朝鮮、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、オランダからの数百人の女性の証言。これらの多くは、2002年に出版されたユキ・タナカの「日本の慰安婦」に記述されている。同書は400人以上の女性の証言に触れている。
AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという。
同議員は自らが追及している戦時中の日本軍用の慰安婦と戦後の米軍用の慰安婦の比較について「日本軍の慰安婦は日本帝国軍隊の政策として性的奴隷という目的のために少女や女性を拘束し、強制し、拉致したのだから、米軍のそれとは異なる」と語った。

(1)慰安婦システム創設における日本軍と政府の関与の度合い。:
日本政府と軍が直接慰安婦システムを創設した証拠は明白だ。1992年−1993年の日本政府の報告は、処々の軍官が処々において慰安所設置の過程を主導したことを見いだした。軍はまた慰安所の装備に手を貸し、運営のための規則を定めた。朱徳蘭が発見した台湾の文書は、日本の台湾植民地政府による日本の中国侵略を支えるための台湾拓殖株式会社設立について述べている。1937年までに植民地政府は、台湾拓殖株式会社に台湾人慰安婦の募集と中国海南島への移送を指示した。海南では日本軍は62の慰安所建設を含む台湾拓殖株式会社のすべての活動を監督した。
吉見文書は、中国の日本軍部隊が1937年の日本の中国侵略に続いて中国北部と中部に慰安所設置を開始したことを証明した。
そのうちの一つ、北支派遣軍参謀長による文書は、管轄下の部隊に、「できる限り速やかに性的慰安のための施設を整えることはきわめて重要である」と指示した。
1992年の韓国政府報告書は、朝鮮駐留日本軍による慰安婦施設設置のための同様の命令を引用している。
(2)日本軍が慰安婦の徴募と移送、および女性たちが日本兵にセックスを提供した「慰安所」の管理に関与したか否か。
システム運営(女性の徴募、女性の移送、慰安所の運営)におけるすべての段階で日本軍の関与があったことを証拠が物語る。
軍と日本の植民地政府が慰安婦を集めるためにしばしば台湾拓殖会社のような民間会社と契約していたことが証拠からわかる。
アメリカの軍人がビルマのミッチーナで朝鮮人慰安婦から聴取したところによると、彼女たちは募集のときに日本軍の統制に服することを規定した契約書にサインしたという。
吉見文書の一つ、1938年3月4日付のものは、「軍慰安所に配置する女性の徴募について」と題して、日本の陸軍省から北支派遣軍へ出されたものだ。陸軍省は次のような指示をした。「派遣軍は徴募を監督すること。そして委託業者を慎重かつ適切に選考すること。実施においては当該地域の憲兵と警察当局が緊密に連携することとし、軍の威厳を保ち社会問題を避けるために細心の注意を払うこと。」
特に注目すべきは、当時の陸軍次官梅津美治郎中将が文書に署名していることだ。梅津は後に参謀総長および第二次大戦中の戦時内閣の一員になった。彼は1945年9月2日戦艦ミズーリ上で降伏文書に署名した。
ほかの吉見文書は、中国北部で日本軍が設置し当地の日本軍司令部が監督する慰安所について記している。
多くの場所で慰安所は、ときには「ハウスマスター(舎監)」と呼ばれる民間人が経営していたことを証拠は示している。
しかし、その地の軍司令部が慰安所運営のための詳細な規則を定めていた。それには営業時間や、将校と下士官が別の時間に慰安所に行くこと、憲兵の配置、医学検査と治療についてが含まれる。
ミッチーナでのアメリカ軍人の聞き取り調査のときに朝鮮女性がこれらの規則について述べている。
(3)女性たちが慰安婦にされ慰安婦として務めたのは自分の意思か否か。
これは女性の募集の際のやり方と慰安所での女性の地位がかかわっている。安倍首相の声明と下院決議121〔慰安婦非難決議〕はこの問題を表現するのに「強制」という言葉を使った。アメリカン・カレッジ・ディクショナリーは、「強制する」、「強制」を「暴力的な行動によって無理強いすること」、「暴力的な圧迫」と定義している。
田中ユキが「日本の慰安婦」で引用した400以上の証言のうち、200人近くの女性が日本軍、憲兵または軍の代理人によって暴力的に捕らえられたと述べている。そのことは特にフィリピン、中国、オランダの女性について言える。
1993年の日本政府報告の結論の要約は、「募集人は、女性を意思に反して募集に応じさせるために多くの場合甘言と脅迫を使った。」と述べている。伝えられるところによると、報告書それ自体、「業者が軍に要求されて甘い言葉と強制で女性を引っ張った」と述べた。
フィリピンと中国の女性の証言、それに日本軍の文書も中国とフィリピンで強姦が蔓延したと述べている。上記の北支派遣軍参謀長が発した命令は、「多くの場所での日本軍将兵による強姦の多発」について触れている。強姦は明らかに、1943−44年の日本軍と中国軍及び大規模なフィリピンゲリラとの烈しい戦闘のあった地域で多数発生した。伝えられるところによると、その地の日本軍部隊は地元の中国人やフィリピン人少女を拉致し、何週間も何ヶ月も拘束し、繰り返し強姦した。
オランダ政府も、1942年の日本の蘭領東インド侵略の直後に日本兵に強姦されたと訴える多数のオランダ人女性の証言を記録している。
強制的徴募がオランダ政府の戦争犯罪裁判で罪に問われ記録されている。それはオランダ国立公文書館の文書 AS5200 と1994年の「日本占領中蘭領東インドにおけるオランダ女性強制売春についてのオランダ政府文書の研究」のオランダ政府報告に記録されている。
これらの訴訟と報告は、軍の監督の下、日本軍がオランダ女性を収容所から(ときには収容者の抵抗に遭いながら)強制的に移送し、慰安婦を務めることを強いた例が多かったことを記録している。
多数の日本軍将校がオランダ戦犯裁判所によってオランダ女性に対する犯罪について断罪された。訴訟と報告はまた、ユーラシアン(欧亜混血)とインドネシア女性の強制徴募も記録している。
詐術が軍と軍の契約者、仲介業者の常套手段であったことを証拠が示している。
ミッチーナで朝鮮女性が米軍の面接者に語ったところによれば、募集人はビルマにいる朝鮮人女性に、シンガポールの病院で負傷した日本兵の世話をすることになると言った。
中国昆明にいた朝鮮人女性の証言によれば、300人の朝鮮人慰安婦は、朝鮮の少女にシンガポールの日系工場での雇用を謳う朝鮮の新聞の広告に応募した。
昆明からのOSS報告は、「23人の女性すべてが明らかに強制と虚言によって慰安婦」になったと結論づけている。
他の多くの元慰安婦も、募集人の詐術を語っている。
韓国外務省の報告は、多くの場合日本人と契約募集人の詐術があったことを引用している。
アメリカ戦争情報局も、1941年12月7日の日本の真珠湾攻撃まで在韓国アメリカ人宣教師だったホーレス・H・アンダーウッドの報告を出版した。彼は日本人が「さまざまな方法で大勢の韓国人少女を満州と中国の売春宿に送った。そしてこれが韓国人の憎しみをかき立てる要因になっている。」と述べている。
募集人はまた、日本認可の金融機関に深刻な負債を抱えた少女の家族に向けて明かな甘言と脅迫を組み合わせて用いた。ミッチーナで証言した女性たちは、病院で働くことを志願すれば家族の負債を完済する道が開けると募集人に言われたと証言した。
田中由紀の本に引用されている多くの女性の証言には、募集人が同じような詐欺的手法を使ったとは書かれていない。
ミッチーナの朝鮮人女性などの証言では、女性たちは慰安所に到着してからは日本軍が彼女たちを解放して家に帰ることを許可するまでそこで勤めた。
日本軍は1943年にミッチーナの朝鮮人女性を何人か解放したが、多くは第二次大戦中は慰安所にいたことが多くの証言が示している。
日本軍が朝鮮人女性が韓国へ帰ることを許さなかったために、彼らが危険を冒して日中の戦線を越えて脱走することを選んだことを彼らの話が示している。
慰安婦徴募の際の強制をめぐる2007年の議論は、女性たちが自分の意思で慰安婦になったか否かという、より広い問題を覆い隠してしまう。
入手可能な証拠から、ほとんどの女性が意思に反して慰安婦になったということは疑う余地が無い。意思に反してということを詐欺的な募集に応じてというふうに定義すれば。
このシステムには真の自発的な性質などほとんど無かったように思われる。

月曜日の核実験から数時間後、ブッシュ大統領は北朝鮮に厳しい警告を発した−しかしそれは他国や非国家実体に核技術を移転させることに対してだけだった。したがって大統領の宣言は、金正日は核を売ろうとは試みるかもしれないが、自分で使おうとは夢にも見ないだろうという確信でワシントンが一致していることを反映している。なぜ? ドナルド・グレッグ前国家安全保障問題担当顧問が月曜日に説明した:「あわてるな。金正日の目的は生き残りであって自殺ではない。」
同じ気休めの理屈はイランのアフマディネジャドに適用されるが、もちろん同じではない。金氏の心理の長期的な分析は、彼はイスラム原理主義者ではない、気違いじみた行動をとりそうもないからということの遠まわしの表現だ。
しかしこの種の文化プロファイリングによって我々は本当の危険に気づく。第二次大戦中の日本の天皇ヒロヒトは宗教的でも自殺志向でもなかったが、理性的な指導者なら勝利を見込めない戦争に国を導いた。この点は重要だ。なぜなら、ジャーナリストは北朝鮮をスターリン主義国家と呼ぶことに固執するが、その世界観はファシスト日本に遥かに近いからだ。
1930年代の日本人のように、北朝鮮は自らの人種の起源を数千年前のひとつの祖先に求め、この純粋な血統により自分たちは比類なく高潔なのだと主張している。この国のマスゲーム−10万人以上が演じる政府振り付けによる見世物−は外国の記者たちにしばしばスターリン主義の実演だと誤解される。実際にはそれは民族的均質性への祝賀なのだ。2005年、「世界で我々ほど純粋で高潔な人民はいない。」と「千里馬」雑誌は読者に思い起こさせた。
国家プロパガンダで金正日はしばしば、かつてのヒロヒトがそうであったように、白馬や雪を頂いた山頂など、人種的純粋性の象徴のイメージと結び付けられる。一方南朝鮮は他人種と緊密な接触を持ちすぎて汚染されたとみなされる。最近の南北の軍高官たちの会合で、北の代表団の指導者は南が人種間の婚姻を許容していると非難した。「漢江には一滴のインクも落とすことを許されてはならない。」
もちろん、北朝鮮の人種理論は日本のファシストのそれと同じで国際法には無頓着だ。比類ないほど高潔な人々は、敵であれ味方であれ、道徳的に劣った者たちに従う理由はない。中国は何十年も軍事的経済的に援助してきたが、北朝鮮からは善意のかけらも引き出せないことを今さとった。
それは韓国も同じで、いくら現金を与えようと、北朝鮮は韓国の民族的反逆をののしるだろう。友好と和解の姿勢へのこの徹底的な鈍感さは、北朝鮮とアメリカの関係正常化の見通しを明らかに示す。
北の政権は今のところ人種プロパガンダを国内の観客向けに限定している。なぜなら、北朝鮮は世界にスターリン主義国家だと誤解され続けることを望んでいるからだ。このように我々は、1980年代によく機能した共産主義者との信頼醸成のための対話のようなものに望みをつないでいるが、それは半世紀前に純粋人種の群れとの間で散々な失敗を喫した。
北朝鮮は多数の人を殺せるが、帝国日本ほどの脅威を世界に与えるのではないし、帝国を築くことに興味を示してもいない。それでもやはり、少なくとも彼らが武器を使わないと決めてかかることをやめなければならないほど、彼らの世界観は不合理だ。
金自身は自殺志向ではないが、その性質を国民に奨励するというヒロヒトと同じ性向がある:「死んで国をまもれ」はますます一般的なスローガンになっている。2003年、太いミサイルが飛んでいる図のカラフルなポスターが外国の報道機関にばら撒かれた。そこには自殺の心構えと受け取れるスローガンがあった。「よく見ていろよ、ヤンキー。」それは悪くないアドバイスだ。

日本の小泉純一郎首相が離任するが、彼の時代の記録は明らかだ。−経済成長への劇的な転換と、テロとの戦いにおける欧米との緊密な協調、彼の業績は国際社会から公正に称えられている。
不幸なことに、小泉の退任は“日本の歴史問題”を証明する新たな機会を批判者に提供した。第二次大戦から60年以上たって日本は中国韓国との関係を保てないという批判である。
この見解は最近プリンストン大学のG・ジョン・アイケンベリーによって表明された。彼はワシントンポストで「日本は軍国主義の過去について中国と韓国に依然として残る疑念と不満を解消できていない」と主張した。
これは一方が満足できなければ他方は間違っているとする、誤解にもとづいた観点だ。つまり、中国と韓国が苦情を言う限り、日本が悪い。
解釈の行き違いは、たとえそれが60年以上前の過去を利用することであっても、日本を守勢に立たせることで一部の国の地勢学的利益になりうる。
次に挙げるのは、“日本の歴史問題”に関する誤解とその背後にある真実である。
小泉首相の靖国参拝は、日本が軍国主義の歴史をあきらめていないことを示す。
日本が第二次大戦中に被害を与えた側であることは疑問の余地がない。しかし、日本が過去について何度も何度も悔恨と謝罪を表明してきたのも事実だ。それ以来、戦争は民主主義と人権の大切さを強調する方向で作用してきた。
靖国神社については、参拝の目的は日本の軍国主義や神社に祀られたA級戦犯を美化することではなく、二度と戦争を起こさないという誓いを新たにするためだと首相は繰り返し表明している。
その上、日本人自身も神社参拝についての意見は広く分かれている。民主主義が日本で完全に機能していることの証左だ。
ドイツは第二次大戦にきちんとけりをつけたが、日本はつけていない。
ドイツを近隣諸国との信頼構築の手本とするのは、中国が興隆し、台湾と北朝鮮にかかわる問題がある東アジアに特有の課題を無視している。
ドイツの西欧との統合は、ソ連からの脅威という共通の認識と近隣諸国と価値観を同じくするという後押しを受けたのに対し、東アジアは地政学的にばらばらだ。
近隣諸国との問題を解決することは、誰が隣人であるかに大きく依存している。たとえば、共産党支配下の中国のメディア環境は、日本の真の姿を浮かび上がらせることを妨げ、相互理解への主要な障害になる日本への敵対感情を醸成している。
日米同盟は地域の対立を激化させるのでこれ以上拡大すべきではない。
数十年の間、日本とアメリカは普遍的価値と相互の利益にもとづいて、アジア太平洋の平和、安定、繁栄を達成するために協力してきた。共通の目標は中国が国際社会で責任ある建設的な役割を果たすよう促すこと、台湾問題の平和的解決を促すこと、北朝鮮に関する問題を解決することだ。
もちろん、日本は多くの分野で近隣諸国との建設的な関係を発展させるために努力すべきだ。しかし、地域安全保障構築に果たす日米同盟のすでに証明された価値を無視して、日本の隣人の気分を害さないために同盟の将来を再考するのはばかげている。
われわれは歴史と真摯に向き合わなければならない。しかし、歴史は現在や未来に影響力を及ぼすために利用されるべきではない。
日本は歴史と和解することを切望している。日本は、口頭でも文書でも、数多くの機会に戦争時の行為について謝罪してきた。そして日本の第二次大戦以後60年の歴史はその例証だ。歴史の和解では、一方が謝罪すれば他方はその謝罪を受け入れなければならない。一方的な行動ではないのだ。
日本の新首相安倍晋三が前任者小泉純一郎と同じほどの人気を得たいのなら、同じように、失敗した過去の政策を捨てる必要がある。それは明らかに、ひどく傷つけられた対中関係を再構築することから始まる。
日本の繁栄と安全保障にとって巨大な隣国との正常な関係ほど重要なことはない。醜いがだんだん遠くなる、日本の侵略と戦争犯罪の歴史が障害になっている。小泉政権の最大の過ちはこの歴史を意図して美化したことで、官僚の腐敗や政治的抑圧から国民の目をそらすために、ナショナリズムをしばしば利用する中国の指導者の利益になるように行動したことだ。
安倍はこの破壊的な力学から日本を解放する必要がある。第一歩は、戦犯の霊が祀られている靖国神社参拝という挑発的な慣行をやめると宣言することであるべきだ。この神社論争と、日本の教科書が戦争中の日本軍の行動に誠実に対処しないことが、日本が現代の軍事問題を扱うことを困難にしている。今持ち上がっている、第二次大戦後にアメリカが押し付けた平和主義憲法を改正する議論のような問題だ。日本がこのような変革をしてはならないという理由はない。しかし歴史と隣国に真摯に向き合うことをしなければ、他のアジア諸国に悪く受け止められるだろう。
ますます活気のある民主主義、復活した経済、小泉が始め、安倍が今さらに推し進める必要がある経済改革など、日本が誇るべきことはたくさんある。歴史の暗黒と恐ろしい逸脱に最も責任のある戦争犯罪者を美化する必要はない。

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